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鰻の蒲焼きの話
日本橋で中学のクラス会がありました。
オイル価格の値上げから物価がジワリと上がっている、という話題が出て、家計簿の話になり、だれかが、鰻の話を持ち込んだのでした。
江戸幕府の最後の重臣に小栗上野介という人がいて、珍しく、家計簿を書き残していいる、その中に、年に3回(給料日?)だけ、奥方と日本橋で鰻重を食べたとあるんだそうです。その価格が二人で2朱。
議論は、2朱とはいかほどか、と展開しました。
話題の提供者は、腕の良い大工の日当が1.2朱程度と説明。あとは、みんなで計算してみろ、ということでしたねえ。
鰻重の値段が、大工の日当より。ちょっと安い程度だったとしても、相当の値段だったんではないでしょうか。
今時分のの大工さんの日当は、20000円ぐらいにはいっているんでしょうか。あるいは、仮に、10000円としてみても、鰻重はけっこう高いものだったんでしょうね。
幕府の重職といっても、年に3回しか食べなかったんですからねえ。
クラス会が終わって、横町を三越の方に抜ける途中に偶然うなぎう屋があったので、気になって、そのショウウインドウを覗くと、鰻重4000円とありました。
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